
ルカくんと月の国での生活が、数か月ほど続いたある日のことだった。
「ずっと、あなたのことが好きでした。これ、受け取ってください!」
同じ仕事場で働く男性から突然呼び止められ、そんなことを言われた。
彼の手には、手紙が握られている。
(これって、告白……?)
彼にはよくお世話になっていたし、他愛のない話をすることも多かったけど、まさかそんなふうに思ってくれているなんて全く知らなかった。
(でも……)
「……ごめんなさい! 私、好きな人がいて、」
「いいんです。ただ、受け取って貰いたいんです! お願いします!」
「え、あのっ……」
半ば強引に私に両手で便せんを握らせ、その人は去って行った。
(どうしよう……)
家に戻ってきて、机の上に便せんを置く。
(私はあの人の気持ちには応えられない。だから、これは返さなきゃ)
「──何を見てるんだ?」
「えっ!?」
背後に、同じように一日の仕事を終えたルカくんが立っていた。
ルカくんの動きはいつも静かで落ち着いていて、物音すら立たないことがある。だからぼうっとしているとこういうことが稀にあるのだ。
(それにしても今はタイミングが悪すぎる……!)
慌てて手紙を隠した。
「あ、る、ルカくん! 帰って来てたんだね、おかえりなさい!」
「あぁ、ただいま」
おかえり。ただいま。そんな些細な挨拶でも、交わせるのが嬉しい。
「……」
ルカくんは目を細めて笑って、私の頭を撫でる。
(前は「触れてもいいか?」って逐一聞かれたけど、恥ずかしいから、許可を取らなくていいよ、って言ったんだよね……)
それからルカくんは、少しずつ、前置きなく私に触れてくれるようになった。
(突然でびっくりする時もあるけど……、でも、嬉しい)
宝物みたいにルカくんが触れてくれると、ルカくんを想う気持ちが、日を追うごとに強くなっていく。
「……それで、何を見ていたんだ?」
「え、っと、それは」
(見逃してくれなかった……! 私ってどうしてこんなに間が悪いのかな)
「……俺に言えないことなのか」
悲しそうな顔。少し幼さを感じるその表情に、胸が痛む。
(言わない方がいいって思ったけど、嘘を吐くのは、違うよね……)
「同じ仕事場で働いてる男の人から、告白されて、手紙を貰ったの。私には好きな人がいるって伝えたんだけど、勢いに負けて、返すことができなくて……ごめんなさい」
「……」
「でも、明日、改めてちゃんと断ろうと思ってるから」
「…………」
「ルカ、くん……?」
何も言わないまま、ルカくんはぼうっとし始めてしまった。
(?? どうしたんだろう……)
そのままフラフラとどこかへ歩いて行ってしまった。
(え、えええ……?)
それからご飯を食べている時も、ルカくんはぼんやりしたままだった。いつも以上に無口で、何を考えているのか分からなかった。
(伝えない方が良かったのかな。でも、落ち込むとか、ショックを受けてるっていうのとは、また違うような……)
ベッドで横になって、天井を見つめる。このまま眠ろうか、ルカくんのところに行って話を聞こうか迷っていた、そんな時──
不意に扉を叩く音がした。
「ルカくん……」
寝間着に着替えたルカくんが、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。
「突然すまない。感情の整理をしようと、一人でいたんだが」
「一人でいたら……落ち着かなくなった」
「傍に行ってもいいか」
許可を取らなくてもいいと言ったのに、やっぱりまだ確認してくれるルカくんに、恥ずかしさと愛おしさが募る。
「うん、いいよ」
布の擦れる音と一緒に、ルカくんのぬくもりを感じる。
二人で同じベッドに入るのは、『あの時』以来だ。
(でも、あの時と今は違う)
あの時は背中合わせだったけど、今はもう、向かい合わせ。
「……ごめんね、ルカくん。手紙のこと、聞きたくなかった、よね?」
「君が謝ることじゃない。聞いたのは、俺だ」
ゆっくりとルカくんが言葉を発してくれる。自分の気持ちを整理するように、ひとつずつ、大切に紡ぎながら。
「でも……俺以外に、君のことを想う人がいると思ったら……、なんだか、途端にいてもいられない気持ちになった」
「それって……」
(やき、もち?)
(ルカくんにもそういう感情、あったんだ……)
「──母が以前言っていたように、俺は……君を置いて、先にいなくなる」
「俺がいなくなった後、君は一人になる。そうしたら、俺以外の誰かと生きていく道だって、あるのかもしれない……」
ルカくんの表情が切なそうに歪む。
「君が一人でいるのは嫌だと、思う。君が安心できる誰かの傍で笑っているなら、その方がいいと……思っていた、のに」
ルカくんが私の手を握る。あたたかい手だ。
「……嫌なんだ」
「君を誰にも渡したくないと、思った」
(ルカくん……)
「俺はわがままだ。残された時間が少ないくせに、欲ばかり生まれるんだ。自分が月の国の人間であることを、こんなに悔しく思ったことはない……」
こんなに、あたたかい手のひらなのに。ルカくんの心を支配する冷たい氷はまだ、ルカくんを蝕んでいる。
だから私も手を握った。ルカくんの心をあたためられるように。
「私もね、ルカくんの立場だったら、きっと同じことを考えるよ」
「でも……私はルカくんが月の国の人じゃない方がよかったなんて思わない」
「生きていたら、色んなことが起こるよ。明日何が起こるかなんて分からない。大切な人と、突然会えなくなってしまう寂しさも、会いたいと思っても会えない苦しみも、私は知ってる」
目を閉じて、私が選んで、失ってきたものを想う。眩い太陽の国にいる幼馴染、親友、家族……それから、お母さん、お父さん。
ルカくんも同じように、失ってきたものがある。それでも。
「だからね、今そばにいられる時間を大切にしようって思えるの」
「いつか無くなることが分かっているから、今在ることを幸せだと思えるの」
同じ時間を歩んで、同じ時を生きて死んで行く。
そんな当たり前の幸せは得られないかもしれない。それでも──
「私はこうしてルカくんといられるのが幸せ。……ルカくんは?」
はっと目を見開いて、ルカくんは私を見つめた。
「俺も、幸せだ」と言ってくれた。それ以上のことなんて無いと思った。
「俺は君のその強さに、何度も救われてきたんだな」
「そんなことないよ。私だって、弱いよ」
こんなこと言ったけど、やっぱりルカくんがいなくなるのは寂しい。
少し想像しただけで、涙が出そうになるぐらい。
(……あ)
ルカくんの肩にぶつかって、涙はルカくんの衣服に溶け込む。
「……残された時間全てを君に捧げるよ」
抱き締められているその背中に私も腕をまわした。
このぬくもりが出来るだけ長く続きますように。
「好きだ」
私も好きだよ、ルカくん。つぶやいて目を閉じる。もし明日このぬくもりがなくなっても後悔しないぐらい強く彼のことを抱きしめながら、眠りに落ちた。
おやすみなさい。そして、どうか、また明日。